昭和40年代に入るとマイカーの普及に伴う本格的なモータリゼーションが我が国にも到来。乗客の減少に対し、上高地線は合理化・省力化で対応してゆきます。それは時として長野県下初、全国的に見てもまだ珍しいシステムの導入を伴うものでもありました。

P1570447
2012年まで使用されたCTC装置の一部

1970(昭和45)年には信濃荒井-新島々(12.5km)にCTC(列車集中制御装置)が導入されました。これは従来、各駅で行っていた転轍機(ポイント)や信号の制御を中央のセンターで行うシステムで、長野県下では私鉄、国鉄共にトップを切っての導入でした。なお、CTCの導入を伝える当時の新聞記事には、年2000万円の人件費を削減 …との記述も見られます。
P3191302Em7lPgGVQAYumJR
新島々-島々間に残る橋梁跡と後年復元された旧島々駅舎

1977(昭和52)年には島々駅が無人化されます。1966(昭和41)年のバスターミナル移転後は、主に地域住民に利用されてきた同駅ですが、利用者は減少。この時点で山の玄関口としての役割は実質的に終えていたと言えるでしょう。これに追い討ちをかける形で、1983(昭和58)年には新島々=島々間(1.3km)が台風災害で不通に。同区間は復旧されることなく1985(昭和60)年に廃止となりました。

100th5-3
新村車両所に到着した5000形電車(左)

1986(昭和61)年12月、上高地線では30年ぶりとなる新型車両「5000形」がデビューしました。この電車は東急電鉄5000系として昭和29年~昭和33年にかけて製造されたもので、モノコック構造による車体の軽量化、直角カルダン駆動の採用による騒音振動の軽減など、画期的な技術を盛り込んだものでした。上高地線の入線に当たり、ワンマン運転用の改造が施され、車体は白をベースに赤と青のストライプを配した当時流行のものが採用されました。(※1)


マイカーの普及は上高地観光のあり方にも大きな影響を与えました。安曇三ダムの建設に伴う道路改良もあり、昭和40年代以降は上高地へマイカーで訪れる人が増加。ピークとなる1970(昭和45)年頃には、道路渋滞の発生、路上駐車によるバスの遅延や植生破壊といった問題が顕在化します。 自然保護地域である上高地で駐車場の拡張は現実的ではなく、1975(昭和50)年からマイカーの乗り入れ規制に踏み切りました。当初は年間30日だった規制日も拡大し、現在はバス・タクシー・許可車を除く自動車は上高地に乗り入れることができません。


※1:白赤青のトリコロールカラーは当時の松本電気鉄道のバスに準じたもので「夜明けと共に発展する」というメッセージが込められているそうです。電車でのワンマン運転は長野県下初、当時は全国的にみても珍しいものでした。