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1965(昭和40)年バスターミナル移転直前の島々駅

1955(昭和30)年 戦後の復興が進む中、島々線は現在の名称である「上高地線」を名乗るようになります。この年は、上高地や穂高岳を舞台とする小説『氷壁』(作:井上靖)の新聞連載がスタート。翌1956(昭和31年)には日本の登山隊が標高8163m.のマナスル(ネパール)に初登頂を果たし、大衆登山ブームが起こります。

このブームに伴い、上高地線の利用者も増加。夏山シーズンを迎える7月~8月には、朝の時間帯(4時~9時)だけで3000人余りが島々駅を利用し、上高地ゆきのバスへ乗り継いだといいます。こうした利用者の増加に対し、島々駅前は狭隘であり周囲の交通に支障を来すことから、1966年(昭和41)年にはバスターミナルが松本寄りの赤松(現:新島々)へ移されることとなりました。

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竣工直後の10型電車(1958年/日本車両東京工場)

こちらは1958(昭和33)年から1964(昭和39)年にかけて導入された「10型電車」です。この電車は大正~昭和初期に製造された木造車体の電車を金属製の車体にリニューアルしたものです。オレンジとグレーのツートンカラーは、以後30年に渡って”山ゆき電車”上高地線の顔として活躍しました。

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1967(昭和42)年7月15日の『こまくさ』号出発式
バスターミナル移転の翌年1967(昭和42)年7月からは国鉄からの直通列車『こまくさ』号の運行が始まりました。始発の名古屋を前日の夜に出発。松本から上高地線に乗り入れ、新島々には朝4時台に到着、上高地ゆきバスに接続しました。国鉄からの直通列車はその後『上高地』へと名前を変え1973(昭和48)年まで運行されました。
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渚駅のヤードで出発を待つ貨物列車。後方には国鉄から乗り入れたD51の姿も。

昭和30年代~40年代のトピックとして外せないのが、『安曇三ダム』建設に伴う資材輸送です。これは都市の電力需要増大に対応して、東京電力が梓川の上流3ヶ所(稲核・水殿・奈川渡)にダムと発電所を建設したもので、上高地線はその建設資材の輸送に当たりました。輸送開始を前に、電気機関車ED40型2両を新製。渚と赤松には貨物用の側線(ヤード)が新たに設けられました。

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実際の輸送は松本に近い渚で国鉄からの貨物を引き受け、赤松までは松本電鉄の電気機関車が貨物を輸送、赤松から先はトラックと索道を利用して現場まで資材が届けられました。

1968(昭和43)年には稲核ダム、1969(昭和44)年に水殿ダム、奈川渡ダムがそれぞれ竣工。現在も現役の発電ダムとして大都市の生活を支えています。


写真:『安曇三ダム』のひとつ水殿(みどの)ダム。上流に奈川渡(ながわど)ダム、下流に稲核(いねこき)ダムがあり、上高地へ向かうバスの車内からも見ることができます。