1922(大正11)年の松本=島々間15.7km全通により本格的に動き出した筑摩電気鉄道。会社設立の目的である日本アルプス・上高地の観光開発はその後どのように進んだのでしょうか。

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松本から上高地方面へのバス(乗合自動車)運行は、島々線開業に先立つ1918(大正7)年から松本=奈川渡間で始まりました。その後、1929(昭和4)年には中ノ湯までの路線が開通、1932(昭和8)年には遂に上高地(大正池)への乗り入れが実現します。1918(大正7)に運行が始まった松本=奈川渡間の路線は、上条信が代表を務める筑摩自動車株式会社が運行を行っていましたが、同社は1930(昭和5)年に松本自動車株式会社(1920年創立)と合併、松筑自動車株式会社として、上高地はもとより、松本市内・近郊・諏訪方面へのバス運行を広く手掛けるようになります。

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1931(昭和6)年発行の沿線案内図(個人蔵)

この頃の日本アルプス・上高地をめぐる動きとして、1927(昭和2)年にあった幾つかの出来事に触れておきましょう。一つ目は『日本八景』への入選です。これは東京日日新聞・大阪毎日新聞(現:毎日新聞)が主催、当時の鉄道省が後援した観光キャンペーンで、新しい時代に相応しい勝景を8つの部門から選定したものです。読者投票と文化人らによる選定の結果、上高地は渓谷の部で一等に当選。その知名度を飛躍的に高めることとなりました。
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 もう一点は、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)の北アルプス登山です。「スポーツの宮様」としても知られる秩父宮雍仁親王はこの年の8月、2度目の北アルプス登山に訪れ、その帰途で島々線を利用されました。当時、案内人として同行した登山家の木暮理太郎は「これから筑摩鐵道の島々駅までは三里半を超えている。そして六時には御迎の電車が其処で殿下の御到着を申し上げている筈である…(中略)…御予定より三十分も早くお着きになった。」とその著書『山の憶い出』に書き残しています。

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現在のようにテレビやインターネットのない時代、上高地のような新しい観光地の宣伝に一役買ったのが、新聞や書籍の存在でした。先に触れた『日本八景』や秩父宮雍仁親王の北アルプス登山が新聞、書籍で紹介されることで、「上高地」の名が人々の間に広まっていったと考えられます。


筑摩電気鐵道も1928(昭和3)年に『上高地』の題で一冊の本を発行しています。これは上高地に関する古今の紀行文・随筆を集めたもので、幸田露伴、吉田絃二郎、杉村楚人冠、下村海南、窪田空穂といった当時の文化人の文章が収められています。

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『上高地帝国ホテル』現在の建物は1977(昭和52)年からの2代目。

こうした「上高地」の知名度・関心の高まりに前後して、1927(昭和2)年には地域一帯が国名勝・天然記念物に、1934(昭和9)年には上高地を中心とする北アルプス一帯が中部山岳国立公園に指定されました。また来訪者を受け入れるための県営ホテル(現:上高地帝国ホテル)が1933(昭和8)年より営業を開始。1935(昭和10)年には河童橋までのバス路線が開通し、現在の上高地観光の原型が完成します。