IMG_5710


筑摩鐵道の創立(1920年) 


松本=龍島間の鉄道敷設免許を得たひと月後、1920(大正9)年1月からは筑摩鐵道株式会社設立に向けた株式の募集が始まりました。3月には新村の専称寺で創立総会が開かれますが、その時点で1315名が株主として出資し、資本金100万円でのスタートとなりました。(登記上の会社設立は同年の5月29日です。)

筑摩鐵道株式会社の本社は長野県東筑摩郡新村806番地に置かれました。現在の新村駅から南に200m.ほどの地点です。初代社長上條信の自宅もこの近くでしたが、筑摩鐵道の本社へは勿論、新村駅へも他人の土地を通らずして行くことができた…とのエピソードも残されています。


島々線の建設と開業
鉄道敷設工事は1921(大正10)年1月から始まり、僅か9ヶ月後の10月には松本=新村間の6.2kmが竣工。10月2日より筑摩鐵道島々線として営業運転が始まりました。開業当初の島々線を走ったのは、定員40名余りの小さな電車3両と電動貨車1両、貨車2両。当時は篠ノ井線はもちろん、信濃鉄道(現在のJR大糸線)も蒸気機関車での運行で、松本平では初の電気鉄道となりました。もっとも当時最新の技術ですからトラブルはつきもので、信濃鉄道から蒸気機関車を急遽借り入れ運行を行ったこともあったそうです。

chikuma 01chikuma 01-3chikuma 01-1chikuma 01-2
開通を紀念して発行された絵葉書。社章はカタカナの「チ」の字を9個環状に並べ「チクマ」を表現している。(個人蔵)
100-1
松本=新村間の開業後も島々線は西へ路線を伸ばし、1922 (大正11)年5月には新村=波多間(4.9km)同年の9月には波多=島々間(4.6km)がそれぞれ竣工し営業運転を開始しました。終点の島々には、日本アルプスの玄関口であることを意識した、アルプスの本場西ヨーロッパ調の瀟洒な駅舎が建てられ、登山者や探訪客を迎えました。なお、商号の筑摩鐵道は松本~島々の開通後に筑摩電気鉄道に改められています。
100-3

ところで、島々駅が置かれたのはじっさいの安曇村島々(現松本市安曇島々)から2kmほど東の波多村前渕(現松本市波田前渕)でした。当初予定された龍島への延伸は島々開業後も事業として継続されましたが、地形を克服する難工事が予想されたことや、昭和初期の恐慌の煽りを受け叶わず仕舞いとなりました。これは筆者個人の見解ですが、仮に龍島まで延伸された際には、この龍島が新たに「島々」駅を名乗ることになったのかも知れません。それだけ「島々」=「日本アルプス・上高地への入り口」のイメージ、ブランドを会社として重視していたのです。

chikuma 3chikuma 4

こちらは全線開業の翌年1923(大正12)年8月の改正時刻表です。(個人蔵)松本=島々間の所要時間はおよそ40分。改正前の時刻と比較すると、1日13往復から14往復に増便し、最終列車を1時間繰り下げています。表面は『日本北アルプス登路概念図』を掲載。有明から燕岳~大天井岳~槍ヶ岳を経て上高地へ至る縦走(通称アルプス銀座)は当時からポピュラーなルートのひとつでした。