こちらは開業からまもない奈良井川橋梁を渡る列車です。初代社長の上條信が配電事業を手掛けていたことから、島々線も開業当初より電化されていました。島々線はその後も西へと線路を伸ばし、翌1922年9月26日には当時の終点である島々までの15.7kmの全線が開通しています。
上高地線の100年を振り返る弊通信のシリーズ "山ゆき電車"上高地線の歩み は下記リンクよりご覧いただけます。100年の歴史を刻み、次の時代へ走り出そうとする鉄路により一層の親しみを持って、一緒に盛り上げていただければ幸いです。
"山ゆき電車"上高地線の歩み①〜筑摩鐵道誕生前夜
"山ゆき電車"上高地線の歩み②〜筑摩鐵道の創立と島々線の開業
"山ゆき電車"上高地線の歩み③〜島々線開業後の動向
"山ゆき電車"上高地線の歩み④〜島々線と浅間線 山と温泉をめぐる観光の時代
"山ゆき電車"上高地線の歩み⑤〜戦後の登山ブームと安曇三ダム
"山ゆき電車"上高地線の歩み⑥〜進む合理化
"山ゆき電車"上高地線の歩み⑦〜“松電“から”アルピコ”へ
"山ゆき電車"上高地線の歩み⑧〜危機と再生の時代
"山ゆき電車"上高地線の歩み①〜筑摩鐵道誕生前夜
"山ゆき電車"上高地線の歩み②〜筑摩鐵道の創立と島々線の開業
"山ゆき電車"上高地線の歩み③〜島々線開業後の動向
"山ゆき電車"上高地線の歩み④〜島々線と浅間線 山と温泉をめぐる観光の時代
"山ゆき電車"上高地線の歩み⑤〜戦後の登山ブームと安曇三ダム
"山ゆき電車"上高地線の歩み⑥〜進む合理化
"山ゆき電車"上高地線の歩み⑦〜“松電“から”アルピコ”へ
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